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2012/03/14

解脱上人貞慶

今、本務先の金沢文庫では、解脱上人貞慶(じょうけい、1155-1213)という、鎌倉時代はじめに南都で活躍したお坊さんをテーマにした展覧会の準備をしています。奈良国立博物館・読売新聞社との共催で、貞慶の八百年遠忌にあわせた展覧会です。
貞慶は、平治の乱で敗死した信西(藤原通憲)の孫にあたり、興福寺、そして後に笠置寺や海住山寺で活躍しました。戒律復興につとめ、復興期の南都において多くの勧進状や願文、講式などを制作しており、その関係資料が金沢文庫にも残っています。

一般にはそこまでなじみのない僧かもしれませんが、実は貞慶の著作や思想は、能とも深く関係しています。例えば、〈歌占〉のクセ。

「須臾に生滅し、刹那に離散す、
恨めしきかなや、釈迦大士の慇懃(おんごん)の教を忘れ、
悲しきかなや、閻魔法王の呵責(かせき)の言葉を聞く・・・」

と対句で始まる、あの格調高くも濃厚な文章、
実は貞慶が興福寺を去り、笠置に隠遁した際に、興福寺の師匠に宛てて書いたものが、後に「無常詞」などと呼ばれて流通しており、その一部を転用したものです。
また、〈舎利〉のクセの

「常在霊山の秋の空・・・」
「孤山の松の間にはよそよそ白毫の秋の月を礼すとか・・・」

といった詞章も、おおもとは貞慶の五段式『舎利講式』の一部で、廃曲〈敷地物狂〉にも同文が引用されています。ちなみに、貞慶が『舎利講式』を制作したのは、建仁三年(1203)に唐招提寺で釈迦念仏会を始めたことと関わっているとされます。この釈迦念仏は、唐招提寺長老となる證玄の弟子であった導御の母子再会譚である能〈百万〉にも、「南無釈迦牟尼仏」の響きとなってあらわれています。

貞慶は春日大明神への信仰が篤く、その霊験の話を書物にまとめました。明恵上人をワキとする能〈春日龍神〉には、春日大明神が「上人をば太郎と名づけ、笠置の解脱上人(貞慶)をば次郎と頼み」擁護したとあります。〈春日龍神〉や〈采女〉に描かれる、春日社頭を釈迦の浄土とみなすような観念も、実は、もともと貞慶が称揚したものです。
それに、貞慶自身がワキとして登場し、伊勢に参宮すると第六天魔王があらわれる能〈第六天〉
・・・こうしてみると、能と貞慶との関わりは、なかなか奥深いことがわかります。

この特別展は、貞慶だけに焦点を当てた初めての展覧会です。二会場で開かれ、奈良国立博物館での展示後、規模を変えて金沢文庫でも開催する予定です。まだ少し先ですが、この機会にぜひご覧になって、能の背景にも関わる南都仏教の世界に思いを馳せていただけたら、と思います。

■御遠忌800年記念特別展 「解脱上人貞慶 ―鎌倉仏教の本流―」
会期
奈良国立博物館:   4月7日(土)~5月27日(日)
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2012toku/jokei/jokei_index.html#
神奈川県立金沢文庫: 6月8日(金)~7月29日(日)

正月七日の翁舞

先日、二月に鹿児島に行ってきたことをご報告しましたが、実はその前の月にも鹿児島に行っておりました。



正月七日に鹿児島神宮で行われる翁舞を見るためで、以前から見に行きたいと思いながら、遠方ゆえになかなか機会がなく、今回ようやく実現したという次第です。



これは一種の鬼追いの儀式で、神主さんたちが社殿の中で「エーイ」と豆をまいて鬼を払った後、びんざさらを持った神主が翁舞の演者の周囲を三回まわり、その後、翁舞の演者が立ち上がって、足拍子を三回踏みつつ短い唱えごとをします。



翁舞そのものは、なんと一分足らずで終わります。五時間近くかけてやってきて、わずか一分とはなんとも非効率な話ですが、研究なんてまあそういうもの。効率を気にしたらやっていられません。


そこまでして、見に行きたかったのは、この翁舞が実に興味深い伝承を伝えているからです。

古い翁舞と共通する文句が詞章に含まれることもさりながら、鹿児島神宮所属の隼人職という芸能者によって演じられるというのが何よりも興味深いところ。


隼人職はこの地域の祈祷師的存在で、同時に鹿児島神宮で様々な芸能を奉仕してきました。その代表的なものが、「隼人舞」と呼ばれる四方固めの舞と、この翁舞なのですが、四方固めの舞と翁舞をともに伝承している点に、翁舞のルーツを考える大きなヒントが潜んでいるようなのです。そのあたりのことは、法政大学の紀要『日本文学誌要』所載の拙稿「「呪師走り」と〈翁〉」をご参照ください。写真でもお分かりのように、翁舞の演者が、鳥兜のような頭巾をかぶっていることも注目されます。



ところで、隼人職はもと四軒あったそうですが、現在は一軒のみ。その一軒のご当主も体調を崩されているとかで、今回、事前に問い合わせたところ、隼人職の方に代わって神主が翁舞をつとめることになるかもしれない、とのことでした。幸い、当日は隼人職の方の体調が回復され、ご本人が翁舞をなさいましたが、後継者がいないため、いずれその伝承は途絶えてしまうかもしれません。能研はこれまでこうした地方の芸能伝承にはほとんどタッチしてきませんでしたが、今後、何らかの形で民俗芸能の記録保存にも取り組む必要性があるのでは、と痛感した次第です。

2012/03/13

春の鹿児島


二月下旬、鹿児島の指宿に行ってきました。


まだ二月だというのに、いたるところに梅が咲いて、すっかり春の陽気。その一週間前には、豪雪の福井にいたために、余計、春の日差しがまぶしく感じられました。指宿といえば砂蒸し温泉。あるいは気温のみならず、地熱の暖かも加わっているのかもしれません。指宿からちょっと行ったところには「地熱発電所」もありました。


さて今回の目的は揖宿(いぶすき)神社の仮面調査。


揖宿神社は薩摩一宮枚聞神社の分社で、十数面の仮面が所蔵されています。

戦前まで神舞という神楽系の芸能に使われていた仮面で、その中には、古い能面が転用されているものもいくつか含まれていて、能面の歴史を考えるうえでも興味深いものです。


うち、三面は室町後期の古面として鹿児島県指定文化財に指定されていますが、今回調査をしてみると、他の面もそれとさほど時代が隔たらない古面であることが判明しました。



ただ、惜しむらくは、保存があまりよくないこと。彫刻刀で仮面の裏面を幾筋にも削り取ったような跡が多数みられました。

宮司さん曰く、「シロアリが食べた跡です」。

中には、よくまあこれほど食べつくしたなあ、と思えるほど、シロアリに見事に浸食されたものもありました。




ところが、中には同じような面でも、まったく無傷のものもあります。なんとも不思議に思われましたが、これは楠で作られたものだそうで、樟脳と同じように、木そのものに虫よけの効果があったらしいとのことです。



写真は県指定の三面と、開聞岳を望むJR日本最南端の駅。

2012/03/09

能楽鑑賞会事前講座


 わたしの本務校の附属中学校では、2年次には歌舞伎の3年次には能・狂言の鑑賞会が開催され、国語科に能のお好きな先生がいらっしゃったこともあって、ここ数年、事前講座と銘打って1時間ほど能の入門的なことと鑑賞予定の作品の見どころなど好き勝手にお話しています。先月もその講座があり(曲は「葵上」)、iPad2で華麗にプレゼンする気満々で、かなり気合いを入れてパワーポイントの資料を作っていったのに、会場備え付けのケーブル接続端子の不具合でスクリーンがいきなり暗くなり、用務員さんが替えのケーブルを持ってすっ飛んでくるという非常事態に(笑)。そんなトラブルで些か気勢を削がれましたが、気を取り直して、泥眼の写真を三枚並べて「この三人(?)の中で一番プライドが高そうな人は?」「じゃあ、一番嫉妬深そうな人は?」と生徒達に手を挙げさせたり、また好き勝手やって帰ってきました。

 そして先日、そのときの感想が6クラス分届きました。「土曜日にわざわざ能楽堂に行くなんてイヤだと思っていましたが(←素直でよろしい)、先生のお話を伺って楽しみになりました」的なお行儀の良いコメントがちらほら(笑)。書かれている内容で多かったものは、

1:いきなり「眠くなったら寝ても構わない」といわれたのでびっくりしたが、それでちょっと気が楽になった。
2:「能はぼーっと見ていたら退屈かも知れないけれど、妄想力をはたらかせて見るといろいろな発見がある」という先生の言葉が印象的だった。言葉がわからなくてもあれこれ妄想しながら見ればいいのだと安心した。
3:「五人囃子」が能と関係があることがわかってよかった。
4:同じ泥眼の面でもずいぶん表情が違い、演じたいイメージによって使い分けるのが面白い。
5:般若が女の鬼で、怒りや恨みだけではなく、悲しみの気持ちを秘めていることを初めて知った。

などなど。中にひとり「幽霊の"うらめしや"のルーツが能だとわかって面白かった」と書いてきた子がいて、えっ、そんな話をした覚えはないけど?と一瞬思ったのですが、よく考えたら「枕之段」の映像を見せたのでした。「わらはは蓬生のもとあらざりし身となりて。葉末の露と消えもせば。それさえ殊に恨めしや」・・・そうくるか(笑)。


 でもまあ、その子なりに関心を持ってもらえたようで何よりでした。願わくは、あと4年後にわたしの能の授業を取って能の豊かな世界に触れてくれる学生が少しでもいてくれるといいのですが。

2012/03/08

「お水取り」の穴場

友人の案内で、東大寺の修二会(しゅにえ)へ行ってきました。修二会は「お水取り」の名で知られ、3月12日の「籠松明(かごたいまつ)上堂」の儀式が呼び物ですが、実際には3月1日から14日にかけて、毎日、練行衆と呼ばれる僧侶たちが、「六時の行法」を規則正しく行う、厳粛でハードな法要です。

3月12日の籠松明上堂の日には入場制限ができるほどの人混みだそうですが、それ以外の日にもお松明の上堂は行われます。毎日夜7時に、10本の松明が登り廊を登り、舞台を赤く照らします(14日は6時半)。添付した動画は3月6日に撮影したものです。

このほか、毎日深夜に行われる「神名帳読み上げ」や、5日と12日の深夜に行われる「過去帳読み上げ」などを聴聞するのもよいでしょう。練行衆が美声で、独特のフシをもって神名帳や過去帳を読み上げます。一般の人々も堂内の局(つぼね)で聴聞することができます。暗くて寒い堂内で、神秘的な体験ができますよ。でも、聖武天皇や源頼朝らの名前に混じって、藤山寛美の名も読み上げられたのはちょっと面白かった。

京都で狂言

3月3日、ひな祭りに京都に行きました。茂山さんの狂言会を観るのが目的の一つ。双子の茂山竜正さん・虎真さんがそれぞれ2日・3日に「靫猿」の猿を勤められたのです。3日は虎真さんのお猿でした。その昔、ネスカフェゴールドブレンドのCMで「狂言の修業は猿に始まり狐に終わる」と紹介された、あれです(古いかな…)。
3日の京都はポカポカと春らしい気持ちよい一日。会場の金剛能楽堂に行く前に、「虎屋」(羊羹の虎屋です、赤坂に本店がある。京都の人は、「虎屋さんは天皇といっしょに東京に行った」と言います。もともと京都のお店です)に寄って、東京で売っているのと同じだとは思いつつも、やっぱり、おひな様の羊羹を買ってしまいました。
ま、それはともかく。やはり、同じ狂言の会でも、京都と東京では雰囲気が違います。ロビーにはこんなかわいい風船と一緒に、お祝いのお花が飾られていました。
開演前には、熨斗目と袴姿の小さな虎真さんが、そろそろと舞台に出てきてちょっと練習をしていたりして…。うん、こういうのも良いな、イイナと思いながら、午後をゆったり楽しみました。
GW頃には、ビデオ・写真撮り放題の狂言会を東京でもなさるようです。
http://www.soja.gr.jp/schedule/item.php?id=3096
教材用に撮りに行かせてもらおうかな、と思っています。