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2011/06/14

観世黒雪からの手紙

少し前のことになりますが、「江戸時代を世界遺産に」というブログを開設されている方から、九世観世大夫黒雪の書状についての情報をいただきました。
ご所蔵の黒雪書状を能研まで実際に持ってきて下さり、山中と宮本の二人で拝見しました。















光悦流の書家としても有名な黒雪の書状だけに、「書」としてもなかなか見応えがあります。
宛先の「木右京」は、彦根藩井伊家の家老、木俣右京。しばらくご無沙汰が続いているが、主君の井伊掃部直孝とともに上洛の節、対面して積もる話をしたい、という内容の書状です。

このような書状を能楽史の資料として扱う場合には、まず何年に書かれたものかを特定する必要があります。
年を確定する手掛かりは二つ。

一つは、観世黒雪の署名が「黒雪斎/暮(花押)」とあることです。それまで「観世左近大夫」を名乗っていた黒雪が「黒雪斎」と改名したのは、元和七年(一六二一)末か、翌元和八年はじめのこと。この書状には「黒雪斎」とありますから、当然それ以後のものということになります。

もう一つは、井伊直孝が「御上洛」の供奉を務める、とあることです。直孝は寛永三年六月、後水尾院の二条城行幸のともなって将軍家光が上洛した際、彦根城から供奉の列に加わっていますから、先の書状は、どうやら寛永三年のものである可能性が高いようです。

この書状とともに、十五世観世大夫元章が「梅」の絵を自ら描き、その賛として自作の能「梅」の一節を記した「梅」自画自賛の軸も見せて頂きました。
「江戸時代を世界遺産に」のブログに、黒雪書状とともに写真が載せられています。ご関心がおありの方は、どうぞ御覧下さい。http://blog.livedoor.jp/sesson_freak/archives/50355706.html